2014年3月29日土曜日

小原からゼミ3期卒業生の皆さんへの「最後の言葉」

 
 
 
 
 
 小原ゼミ3期卒業生の皆さん。あらためてご卒業おめでとうございます。大学を 出て繰り出した新宿3丁目地下の居酒屋でもお話ししましたけれども、この2年 間、わたしはほんとうに楽しませてもらいました。ゼミ活動に献身し、組織戦も 個人戦も戦える立派なゼミになったこと、そのなかで成長していく皆さんの姿を 見られたことは、わたしにとってこのうえない喜びでした。とても愉快でした。

その過程で、学生をほめることもたまにはありましたが、厳しく叱責することが しばしばでした。学習のあり方、レジュメのつくり方、レポートの書き方につい ても、組織の進め方についてもです。叱責するのは、わたしの性格によるところ もありますけれども、少なくとも半分は自覚的にしているものです。この程度の ことは乗り越えてください。乗り越えられないことを叱責されたら、それに腹を 立てて、わたしを恨んでもいいからやっぱり乗り越えてください。そういうこと なのです。その声を最初に受け止め、耐えて、2年間ゼミの屋台骨を支えてくれ た高橋くん、星野さんの両幹事にもう一度深くお礼をいいます。ありがとう。ま た、最後にIさんが話してくれたように、いたたまれない気持ち、逃げ出したく なる気持ちになった学生もいたでしょう。それはわたしもわかっていてのこと だったのですが、よく最後までこらえてくれました。ありがとう。

わたしが学部ゼミでめざしているものは2つです。1つは、世の中のこと、政治 のこと、地域のことを根本から考え、それが自分の生き方を考えることにもつな がるような知の力と方法態度を身につけてもらうことです。もう1つは、世の中 と人生のどんな荒波にも耐えていけるだけの基盤、いや岩盤となるような大学時 代固有の強い体験、記憶と人間関係を獲得してもらうことです。おそらくこの2 つは、1つが手に入れば、もう1つもだいたい手に入る関係にあるのだろうと思 います。けっして神経が細いとはいえないわたしですが、そうしたものがなけれ ば人生をあきらめたくなるような体験をこれまで1度や2度はしています。その ことは昔の思い出話しとして笑いながらですけれども、きみたちにも少しお話し しました。どうかきみたちも大学で得た大きな財産を瞳のように大切にしてくだ さい。

「小原ゼミは闘うぞ」と言ってきました。いかにも懐古趣味的であり、また、押 し付けがましくなるのはリベラルでないと十分自覚しつつですが、それでも言っ てきました。なにと闘うのでしょう。一般論として言えば、学問の世界、知の世 界と格闘するということでしょう。学問や知の世界が考察対象として扱う現実と 格闘するということでしょう。しかし、ほんとはもっと言えば、現実の世界に存 在するさまざまな不正義や抑圧を見逃さないでほしい、受難(passion)に苦し んでいる人の身に自分を重ね、心(passion)を寄せてわがこととして考えてほ しい、不正義や抑圧を強いるものに黙っていないでほしいということなのです。

30数年前に学部の学生だったころ、正義や理想の社会はあるのだと思っていま した。それが年を取るにつれ、学問を重ねるにつれて、正義に近いもの、よりマ シな社会ならあるのではないかに変化し、さらに、いやそんなものさえありはし ないに行き着きました。かといってニヒリズムに宗旨替えしたわけではありませ ん。これは不正義だ、もっとひらたく言えば「それってどうなの?」に関してな ら多数の合意を形成することはそれほどまで難しくないのではないか。政治にで きることがどんどん限られてくるなかでも、より悪くない(less evil)社会をつ くる手だてくらいにはなるのではないか。そう思っているのです。この変化は知 恵と気持ちの前進であって、後退であるとは考えていません。わかる人にしかわ からない言い方になりますけれども、その意味で「世界革命」路線は昔どおりな のです。

ああ、それで思い出しました。大学に持ち込んではならないと、正門その他付近 の看板に書いてある例のものに寄せ書きをありがとうございました。さすがにあ れには笑ったね。警備員さんににらまれたでしょう。これでわが研究室のご本尊 は、黒いのと白いのの2つになりました。ありがたいことです。なにごとも信心 が肝心です。

さて、もうそろそろお別れにしましょう。締め括りも3丁目の夜と同じにしよ う。小原ゼミ3期卒業生の皆さん。いや、雰囲気出ないから「小原ゼミ3期卒業 の学友諸君。用意はいいか。用意はいいか。シュプレヒコール。シュプレヒコー ル。小原ゼミは闘うぞ。小原ゼミは闘うぞ。闘うぞ。闘うぞ。闘うぞ」。じゃあ な。またな。
 
 
 
 
 

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